今何に注目していますか?

もし貴方がイライラしたり、つらく思っているなら、まずこれを試してください。新しいノートを買ってきてそのノートに貴方が「ありがとう」と思えることを全て書き出してください。どんなに小さなことでもいいのです。

今日の私の感謝(30分でこれくらい書き出せました。)

私は生きています。ありがとう。
子供達が元気で、幸せです。ありがとう。
きれいな夕日をありがとう。
今日クーポンをもらった。ありがとう。
幸せを感じました。ありがとう。
私のお客さんが満足している。ありがとう。
この人に会うことができた。ありがとう。
子供が勉強が好きになってきた。ありがとう。
子供が優しい子に育っている。ありがとう。
YOGAのクラスの生徒さんがクラスの後幸せそうに帰っていった。ありがとう。
友達がハッピーになれるテキストを送ることができた。ありがとう。
今日YOGAを教えた。ありがとう。
美しい1日をありがとう。
友達が幸せな顔をしていた。ありがとう。
今もちゃんと手が使えて紙に字が書ける。ありがとう。
五体満足です。ありがとう。
となりに座った男の子がクッキーをくれようとした。ありがとう。
とっても普通な感じの女の子がダイナミックな新体操の技を見せてくれた。驚きをありがとう。
ビデオカメラで子供の新体操の練習を撮影できた。ありがとう。
子供達に教えてくれている先生。ありがとう。

 

どんなにこまかくてもいいのです。頭と心を感謝でいっぱいにしてください。いつも感謝でいっぱいであれば貴方はいつも幸せです。このノートを感謝でいっぱいにしてください。

私達日本人は戦争が原因で神様と離れてしまったと思います。どこかの宗教に入れといっている訳ではないのですが、宗教はとてもよい事を私達に教えてくれます。そのいい事をぜひ覚えておいて実行してください。


私がいつもしたい事:

感謝する
人を助ける
人の話をよく聞く
笑う
いつも笑顔でいる
人に親切に
楽しいことを考える
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心を清浄で堅固にするには

インテグラル・ヨーガ(スワミ・サッチダーナンダ著・伊藤久子訳)によると苦行によって、体と感覚の不浄が消え、超自然力が得られるとある。

汚れた服をきれいにするには服を洗濯機でぐるぐる回して、暑い乾燥機で乾かして、アイロンをかける。人間がくぐる苦行も同じようなものだ。

インテグラル・ヨーガからの抜粋:

心もやはり、洗われて、絞られて、放り上げられて、乾かされて、アイロンをあてられねばならない。誰かがわれわれを苦しめても、それはわれわれを憎んでいるからではなく、われわれ自身の浄化を助けてくれているのだと考えよ。そのようにとらえることができれば、われわれは真のヨーギーである。誰かに感情を傷つけられたら、われわれはその人に微笑みを返すべきである。「ありがとう、いくらでもそうしてくれ。君は私にできるだけ早く純粋になってほしいのだ。だから仲間を呼んできて私を苦しめてくれてもいい。」 そこのところを理解して受け入れることができたら、われわれはけっして、われわれを罵倒したり、叱責したり侮辱したりする人を咎めないだろう。もし美辞を喜び、侮言に腹立つならば、それはまだわれわれの心が強くないからだ。侮辱の一言がわれわれの弱さを教えてくれる。私の師は「適応し、受け入れよ。侮辱に耐えよ。中傷に耐えよ。それが最も高いサーダナ(修行)である」と言われた。どこかに引っ込んでマントラを唱えるのは簡単なサーダナだ。それだったら誰にでもできる。しかし、侮辱されても静穏な心を保つならば、それは数珠を何千回数えてマントラを唱えるよりも優れている。。。。。

 

 

 

 

 

 

本当の私とは何か?

ヨガをする人であればパタンジャリのヨガスートラを読んだことがあると思います。瞑想に興味がある人も読んだことがあると思います。インテグラル・ヨーガ(スワミ・サッチダーナンダ著、伊藤久子訳)から私が興味深いと感じた点について述べてみたいと思います。

ヨガスートラによると私達は「見る者」なのです。「見る者」である私と心は同じものではありません。心がうれしい、悲しいといった感情を感じていて、私達はそれらを「見る者」なのです。思考や感情と「見る者」である自分を一緒にしてしまっているために私達は苦しむのです。「見る者」としての存在は貴方も私も同じです。この観点からすると私達はみんな同じなのです。体や思考や感情が違っても、私達はみんな同じ「見る者」であり、宇宙的意識(あるいは神)の一部なのです。物事、感情、思考、人に執着しないで、変化を見ましょう。私達が「見る者」であることをいつも覚えていればいいのです。

インテグラル・ヨーガからの抜粋

自然は元素と器官のの組み合わせである。。。。われわれ自身を真の「自己」だと感じるときには、その体さえもが自然の一部である。。。。

自然の中のものは何ひとつとして不断で普遍の幸福をもたらすことができない。それは心そのものが絶え間なく変化するからだ。われわれは、同じ胃を持っているのに、毎日同じものを食べたくない。からだつきはちっとも変わらないのに、毎日同じ服は着たくない。われわれの要求が変わるのは、心の変化がその鍵である。もしそれがいつも同じなら、どうして変化を求めるだろう?そしてそのことがわかったら、われわれは物事を変わるに任せ、それに執着しないだろう。あることが変わるならそれはそうさせておくべきだ。代わりに何かが来るだろうから。われわれは流れる雲を見るように、変化を見ているべきである。ところがわれわれは見ているだけでは気がすまない。その端っこにしがみついて、離そうとしない。だから緊張が生まれる。変化とは流れる水のようなものなのだ。水は流れるままにしておけば、それを眺めているととても楽しい。ところがその水をつかまえて、水を自分のものにしようとするから、堰をこしらえねばならなくなる。すると水は抵抗して逃げようとする。そこですさまじい闘争が起こる。水は、一部はせき止められるかもしれないが、あとはあふれ出ようとする。だからはけ口を作ってやらねばならない。でないとその堰は確実に壊れる。人生はすべて、過ぎていくショーである。それを一瞬でも引きとめようとすれば、われわれは緊張を感じる。自然は逃げようとする、われわれはそれを引きとめ、引き戻そうとする。われわれがそれを引きとめようとするときには、遮蔽物をつくる。そして結局はそれが、われわれに苦しみを引き起こす。

このわれわれの体でも、もしわれわれがそれの変化を望まないとなると問題が生じてくる。われわれは”若さ”なるものを保つために、あらゆる種類の化粧品を買う。クリームとか、かつらとか。だがわれわれが、その時その時の変化を楽しむようになりさえすれば、年を重ねていくことの内にさえ、美を認めることができる。。。。物事が通り過ぎていくのを受け入れるとき、われわれは自由である。物事はただ来ては去るだろう、だがわれわれは安らかなままである。

 

 

言葉と思考は当てにならない。。。

私はヨガを始めて6年くらいになります。最初はヨガとはアサナ(ヨガポーズ)だと思っていたのですが、私達が人生をどのように送るべきなのかを教えてくれる人生の教科書(人生の水戸黄門みたいな感じかな。)ということが分かりました。

小さい頃からどうしても海外に出たくて出たくて、でもなんと来たのは思いもよらなかったハワイ。ハワイの学校で勉強して、結婚して、子供を生んで、離婚しました。

悩んで、困っている時人間は誰でも助けを求めますよね。私にとってはyogaとpresent moment awareness (その瞬間に認識していること)が助けになっています。この認識に達する方法があればどの方法を取ってもいいと思うのですが、とりあえず私が私の先生から習ったことを書いてみたいと思います。でもこのブログは基本的に私の頭を整理するものですので、興味があればさらっと読んで、「なるほど、こんな考え方もあるか。」と思っていただければ幸いです。

私達は頭の中の感情や思考のせいでいろんな間違いを起こしたり、争いを起こしたりします。人間は聞きたくないことは聞き逃す傾向があると私は思います。例えば私は息子に5回ほど冬休みの宿題をやるように言いました。息子はやらないといけない2つの宿題のうち、簡単なほうはやりました。でも難しい宿題はやりませんでした。「忘れてた。どうして言ってくれなかったんだ?」と私に怒る始末です。嫌なことは聞きたくないし、覚えていたくないですよねー。。。 思い違いで喧嘩になることも結構ありますよね?言葉だけでは100%伝えたいことが伝わることは絶対にないと思う今日この頃です。私達は言葉の意味を自分の色眼鏡(過去の経験から得た知覚)を通して受け取ります。私の経験からするとこうだったらからこの人もこう言っているだろうという判断は間違っている可能性が大です。

たとえ誰かに嫌なことを言われたとしても「この人嫌なことを言った」と思うのは私の思考なのです。以前私はおもしろいなと思ったから子供に「はは、ばかだな。」とおかしく言ったら、子供がとても怒りました。子供の知覚はおもしろいとは受け取らなかったのです。自分の受け取り方で全てが変わってくるんですよね。自分が自分にささやいている言葉もそうです。自分が自分に嫌なことをささやいていたらそれは真実ではありません。自分が感情的になる前にこれに気づけば、いつも平静で幸せな自分のままでいることを選択できます。

否定的な思考が侵入しようとしていることに気づきさえすれば、その思考は消滅します。